Saturday, August 12, 2006

エレクトロニクスをツールとする

エレクトロニクスをツールとする事は少なくとも音楽に於いてはもう終わっても良いのではないか。エレクトロニクスに如何にしゃべってもらうのか、を考え彼らのしゃべり方を受け入れ彼らと共にしゃべる、と70年代に提唱されていた。が、そのパワーが圧倒的に上がった現在でもそれは受け入れられていないように見受けられる。寧ろ、昔に比べて複雑でブラックボックス化しているが故にそれができづらくなっている状況のようだ。

白塗り

現代音楽家の好んで使用するホワイトやピンクノイズ、正弦、余弦派等のサウンドは舞踏に於ける白塗りの様なものなのだろう。

>暗黒舞踏の白塗りには「かぶきの白塗りの原理に基づく発想」が働いていると考える。つまり、白塗りはかぶきそれの仮面性を全身におよぼすことによって、「肉体否定の一つの表現」「醜悪な肉体の醜悪さの一つの表現」となる。(郡司正勝)

つまり自然界には存在しないが自然界の音を構成している最小の要素であり抽象であるそれらの音は「肉体否定の一つの表現」としての白塗りのように自然の音を否定し、存在しながらも恣意をはなれたあたかも純粋抽象的な存在として振る舞うことができる。

形式的な取扱いが楽な故に乱用される事は舞踏の白塗りと同じであるが。

Wednesday, August 02, 2006

インド文化と科学の関係

ゼロという概念を創りだした民族だと言われる。アラビア数字も西洋にアラビア経由で伝わったのでそう呼ばれるが、源はインドである。西洋に現在のような数字の概念が伝わったのは早くとも10C頃だと言われているようだが、その後西洋は猛烈な速さでそれを吸収し発展させ自然界に概念を拡大した。その過程で急先鋒として産まれてきたのがカメラオブスキュアや遠近法、立体絵画技法、平均率、フーガ、カノン、調性であったり、云々であったり、文化の形成に数学の概念がかなり直接的に関与している。
だがその数学の概念の基礎を作り出したといわれるインド文化にその痕跡が残っていないのは何故か。いや、或は西洋のように直接的な形で関わってゆくのではなく、また別の相で存在しているのだろうか。インドと科学の関係を洗い出そうと思ったきっかけである。