Sunday, April 15, 2007
情報の国
架空の情報上の国があるとする。そこでも音楽が作られる。シルクロードを伝わって、また民族の様々な美意識で取捨選択されて時間とともに音楽が融合されてきた訳だが、この国でも同じように民族それぞれのアルゴリズムで情報の音楽をプロセスしてゆく。そういう国を想像してみた。
Saturday, March 31, 2007
Monday, March 05, 2007
Wednesday, February 28, 2007
近未来
もしあらゆる音楽の音符やパターンがデータ化され、思いついた旋律から即座にさまざまな音楽パターンを生成できたり、そういう時が来たとき(近々でしょうが)、そのときになって初めてようやく人は機械と音楽の関係を相対化できるようになるのではないか、と思う。
自動作曲に社会的な意味があるとすれば、そういうことなのかも知れません。
しかしまあ、そういう事以外にもいろいろなことを面白がるというのは大事でしょう。
自動作曲に社会的な意味があるとすれば、そういうことなのかも知れません。
しかしまあ、そういう事以外にもいろいろなことを面白がるというのは大事でしょう。
Sunday, January 28, 2007
dejav
機械から発せられる音、人の行為による音楽とを比較する。
”音楽とは生音である。音楽は演奏がよい。機械の音はどんなに機械の能力が上がったとしても人による音楽にはかなわない。原音至上。”
まるで以前の民族音楽と西洋クラシックの様だ。以前見たような光景に思える。いまだ何の疑いもなく、人々は機械の音と人間の音楽とを同列に扱っている。明らかに機械の音は、人々の不理解により辱められている。機械は音楽のような形に自らの表現を落とす必要はない。
”音楽とは生音である。音楽は演奏がよい。機械の音はどんなに機械の能力が上がったとしても人による音楽にはかなわない。原音至上。”
まるで以前の民族音楽と西洋クラシックの様だ。以前見たような光景に思える。いまだ何の疑いもなく、人々は機械の音と人間の音楽とを同列に扱っている。明らかに機械の音は、人々の不理解により辱められている。機械は音楽のような形に自らの表現を落とす必要はない。
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