Friday, September 30, 2005

変化について

音楽が音素の「変化」を要素として成り立っているとしたら、最小限の変化もあり得るわけで、それで音楽が成立することもある訳です。それがミニマルミュージックの成立条件としてあるわけです。音素の変化としてはもちろん無音状態も含まれる訳です。

北印度音楽について

音楽に対する時間感覚が問題となってくると思う。

Monday, September 19, 2005

____________________10/Mar/05

サウンドを音楽の構成要素とした時、階層構造がうかびあがる。しかしそれは”サウンドは音楽に従属する”といったような力関係には置き換えられない。むしろサウンドは音楽の構成要素でありながら、全体を握り 音楽>サウンド というよりも 音楽⇄サウンド といった入れ子の状態になる。
西洋音楽の構造>サウンド・ヒエラルキーを超えたところに東の音楽は在る。構造は音楽でありサウンドもまた音楽であり、構造はサウンドである。構造とサウンドが常に100%の力で互角に同時に存在する、それがヒンドゥスタニー音楽である。
そういう音楽には西洋音楽の言う”積み重ねとしての時間”はない。ある意味非常に断片的サンプラ−的である。時間の積み重ねをもちつつ、それを無視して様々な瞬間にアクセスできる。それは各瞬間のサウンドがそれ相応の力を持たないと実現できない。それぞれの要素が輝きを持たないと断片と化した瞬間は脳に到達しない。
インド音楽がもつ一つの価値観はここに有る。どこからでもいつからでも戻って来れる。だからといってただ時間経過を無視してとりとめもなく実行されるわけでは無く、そこには大きな構造も有る。時間とともに積み上げてゆく形式の構造では無く。。。。

____________________12/Jan/04

いつでも逸脱できるし、いつでも戻ってくることができる。繋がっていてそれでいてその瞬間瞬間に現あらわれる何か。西洋音楽に較べて時間感覚が長過ぎるのかもしれない。ガンジャの時にキーがあらわれる。断片とは心の中のものか。La monte young の eternal music の様に永遠に存在し、そこに随意随時にチューニングを合わすことで断片を心の中に生じてゆく。断片には頭の奥底をくすぐるなんらかのはたらきがある。

Sunday, September 18, 2005

____________________28/11/04

魔術師と手品師が居る。手品師は人々をアッと言わせ、圧倒し、笑いを導いて楽しませ、ハラハラさせたりもする。場を解放し喜びに満ちあふれたものにする。魔術師は人をけむに巻いたり首をかしげさせたり、納得できない感覚を心においていったり、時にその魔術が人に気付かれなかったり。。。する。属性は魔術師らしい。

____________________21/11/04

「聴く」とは創造的な行為である。音が空気の振動であり、ある秩序を持った振動が鼓膜等の感覚器官に到達した結果、人間の内側に形成されるもの、それが音楽である。音楽とは聴いた人の内側に形成される現象である。「誰も居ない部屋でベートーベンが鳴っていたとしても、そこに音楽はない。音楽は聴いた人の内側に形成される事象である。」
無音も含めいかなる音も、聴いた人の中で「音楽」として形成されたら、それは音楽である。

____________________31/8/04

何処が始まりでも終わりでもない。何処からも始まり何処からも交わる。決まった部分は最小限におかれているけれど、明確なフォームやフォーマットのようなものが見えるような気がする。いくつものトラックがそれぞれを控え目に主張しながら緩くぶつかりたまに不協しそれでもお互いを排除せずに、時間を追う。

あらかじめ決められた構造を時間軸上に配置された音楽はとても強い意志を持ち、人をある方向に薙ぎ倒す_のかもしれない。緩やかに形成され、最小限の構造を持った音響は強い意志は持たないだろうけれど、人々の隙間に入り込む柔軟性は持つのではないかと思う。人と音とのかかわりあいが音を突き抜けて思考を様々な方向にとばす。自分と自分を取り巻くものの関係性を再確認する。

"音楽"は"人_音楽" のかかわり方を限定してしまう。強すぎる、場合がある「音楽」は。

____________________21/8/04

通奏音の上でシンプルなラハラが如何に展開されゆくか、装飾されゆくか、いや寧ろ音響的視点から如何に自分を納得させる音色の重なりを実現するか、その手法として自分はラハラの様々な速度、断片、を配置して緩やかな立体音響を創ろうとしていた。そこに美意識が向いていた。技術的には様々なものが必要だろうと思う。でも、そこに行ったと言うことが何か自分というものを深めていくことの示唆となり得ると思う。

__________________23/07/04(3)

ヒト
↓削ぎ落として
double spiral

なのか

__________________23/07/04(2)

削ぎ落とすという行為。全ての余計なもの、理論や音楽と言う文脈の中のしがらみやこびりついている臭いを削ぎ落として知識や記憶も、自分についている癖も全部落として残ったものは一本の線の時がある。最小の反復が残る時がある。
でもその一本の線は太さもまちまちで時によじれ、ピンと張り、その表面には無数の紋様が彫り込まれ、その総面積は平面や立体に劣らない最小の反復でありながら一つとして同じ反復がない。想像力の無限の飛翔を持った一本の線。時にある部分はほつれ、枝が出ているかの様に見える。
maximum にむかう流れに反して minimum に向かって行く力がはたらく。その舵取りに自分がたちあらわれる。

__________________23/07/04

drone と反復が互いに干渉しあう→重なりあう処は?
波が重層に

drone の minimal性
minimum の minimal 反復が drone


Drone と反復が手を握る処は?
通奏音の反復性�反復音の通奏性

Saturday, September 17, 2005

switch on

本日 9/16. 2005 , switch on // しました。