Monday, September 19, 2005

____________________10/Mar/05

サウンドを音楽の構成要素とした時、階層構造がうかびあがる。しかしそれは”サウンドは音楽に従属する”といったような力関係には置き換えられない。むしろサウンドは音楽の構成要素でありながら、全体を握り 音楽>サウンド というよりも 音楽⇄サウンド といった入れ子の状態になる。
西洋音楽の構造>サウンド・ヒエラルキーを超えたところに東の音楽は在る。構造は音楽でありサウンドもまた音楽であり、構造はサウンドである。構造とサウンドが常に100%の力で互角に同時に存在する、それがヒンドゥスタニー音楽である。
そういう音楽には西洋音楽の言う”積み重ねとしての時間”はない。ある意味非常に断片的サンプラ−的である。時間の積み重ねをもちつつ、それを無視して様々な瞬間にアクセスできる。それは各瞬間のサウンドがそれ相応の力を持たないと実現できない。それぞれの要素が輝きを持たないと断片と化した瞬間は脳に到達しない。
インド音楽がもつ一つの価値観はここに有る。どこからでもいつからでも戻って来れる。だからといってただ時間経過を無視してとりとめもなく実行されるわけでは無く、そこには大きな構造も有る。時間とともに積み上げてゆく形式の構造では無く。。。。

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