Saturday, August 22, 2015

形なきものに、形をあたえることなく、 ただ、呼び名だけをあたえておく

形なきものに、形をあたえることなく、
ただ、呼び名だけをあたえておく
こころを柔らかに保とうとして
神田橋條治「治療のこころ」巻七

技法はその人の弱い部分を補うように開発される

技法はその人の弱い部分を補うように開発される。
- 神田橋條治

Wednesday, August 12, 2015

何がしたいのか、より、何がしたくないのか、を問う方が適切な場合がある

質的な違い、量的な違い

自分の目の前にいるクライエントと自分との間にある心理活動の差を、質的にではなくて、もっぱら量的に見るような姿勢を中心にして、構成されるはずのものだと思います。
質的な違いがあるというふうにみるということは、これは、共感不能の部分をピックアップしていくことになります。質的に違いがあるものは、共感できないわけですから、ヤスパース流にいえば、共感不能の領域を、次々にとり出していくことになりますので、診断作業としては、ちゃんとつじつまがあったとしても、あるかなきかの可能性を模索しては、そこから、いままで思いもつかなかった可能性を発掘して、共に喜ぶ、というような内省作業とは、相容れないのです。
神田橋條治「治療のこころ」巻二

言葉とは高度に複雑な、レディメイド、な表現媒体なのかもしれない

Saturday, August 08, 2015

Inventions

自分の好きや嫌いと、世界は別である、ということがわかっていること。許せること。
或いは、自分を相対化できていること。世界が自分無しでも成立するということを、受け止めれるということ。

「例えあなたがいなくても 世界がただ在るのだと認めてあげること」(森山直太朗)


世界をどう表現するのか、いやもっとシンプルに、世界がどう見えているのか、を表出する、という話。

自分が、世界をどう表現するのか、いやもっとシンプルに、世界がどう見えているのか、の中に、つまるところ哲学も科学も含まれる。

J.S.Bach にとって作曲とは神の創出した世界から神の息吹を発掘することであった。Inventions は「発明、創案」という意味だが、「発見」が正しい。発明と発見はややもすれば、正反対に近いくらいの距離がある。J.S.Bach の時代の人々の神に対する信頼感が、世界観の表出に大きな影響を与えた。同様に、今の人々の世界に対する関わり方が、その世界観の表出に大きく影響する、というよりもそのものである。

彼らの時代の人にとっては、既に神(或は世界)によって存在している美を「発掘した/掘り当てた」感覚なのではないか。そこには恣意的な指向は極限までそぎ落とされ(だって、掘り当てるんだから)、寧ろ科学に近い希求だったのかもしれない。

Friday, July 17, 2015

Next World

脳科学や人工知能の深化により、いわゆる今まで「人間らしい、人として、、」といった部分にまでメスが入っている。
そのうち、脳のメカニズムが分かるだろう。人がそれらのメカニズムによって意思決定をする、それは分かる前であろうと分かった後であろうと変わらない。
人間らしいと言われてきた部分がメカニカルな反応の帰結であったとしても、我々が生きるという事実は変わらない。

ただ、 生きるという事に興味をなくすのではないかと思う。
生きるのを止めるという意味ではなく、ただ単に「何故人は生きるのか」という根源にあるモチベーションが薄くなるのではないかと思っている。
そして、シンプルに生きる事にフォーカスして生きる様になるのではないかとも思う。

それは、いわゆる人間らしさを捨てるという事かもしれないし、そうだとしたら、「テクノロジー」を使って我々は人間から動物に回帰すると言う事だ。

 そうか、我々は何故狂った様にテクノロジーを押し上げるのか、それはニルヴァーナを目指しての事だったのだ。
人間の境界を少しずつ壊しながら、そういうやり方で。

そう考えると、まだまだ私たちは修行(テクノロジーの発展)が足りていないと言えるかもしれない。




Sunday, January 18, 2015

Neuro Morphic Chip

IBM による脳の神経回路のメカニズムを模して実装した半導体チップの発表があった。
詳細な発表がなかったので消費電力が驚異的に低いとかから、あくまで勝手に推測しているだけだが、このチップはいわゆる従来のクロックに同期したデジタル回路ではないのだろう。

デジタル回路だが、非同期回路という連続した時間の中で計算する構造になっており(これ自体は元からある技術)、クロックのように同期すべき時間もなく、微分時間という概念もない(勿論実用上使って行く上でどこかで同期が発生するが).

IBM だけでなく、Intel を初め、世界中の企業/研究機関がこの Neuro Morphic に取り組んでいるのを見ると、デジタルデバイスの時間概念は今岐路にあるのかもしれない。
 
人はクロック(同期という意味の)から、久々に(何十年ぶりに)解放されるのだろうか。

(注) あくまで、個人的な推測です。

時間2

現在、人間活動のうちかなりの割合をデバイスをトリガーとし、それはクロック(微細時間)に同期してなされる。
人類はクロックを精緻化することでその性能を向上させ、その恩恵を享受してきた。 そのトレードオフとして、人々はクロックという微分時間に同期して運動することを強いられるとも言える。(勿論概念的という意味。GHz に同期して人が動いているとは実感しづらい)。
 

Tuesday, March 01, 2011

時間1

デジタル回路にとって CLK は時間である.CLK は離散時間である.CLK のエッジとエッジの間にはデジタル概念として時間は無い.あらゆる現象は CLK と CLK の差分として表現される.

人は今、デジタル機器と分ちがたくつながり始めた今、時間が【 CLK にアライン 】されている.

Wednesday, August 05, 2009

「知っている」と「できる」の感覚について

「知っている」と「できる」は、当たり前のことだが、かなり異なる.同じ対象に対するかなり異なるアプローチであるのだが、ややもすれば同じことの様に捉えてしまう.
「知っている」<=>「できる」
と.

スポーツや楽器演奏など身体性が大きな範疇を占める事においては、当たり前のことであり、寧ろその2つを異なる要素として相補的に高める事が、大きな要因となる.

しかしながら(敢えて)、今は明らかに「知っている」に様々な環境が偏重している.
要するに IT のおかげで様々な事を「知りやすい」のだ.「知りやすい」が故に「できる」事を非常に大切にしなければならない.

どんなベーシックなことでも良い.「できる」事について注意を払う事である.

何度も言うが、「知っている」ことは「できる」ことと違う.