そのうち、脳のメカニズムが分かるだろう。人がそれらのメカニズムによって意思決定をする、それは分かる前であろうと分かった後であろうと変わらない。
人間らしいと言われてきた部分がメカニカルな反応の帰結であったとしても、我々が生きるという事実は変わらない。
ただ、 生きるという事に興味をなくすのではないかと思う。
生きるのを止めるという意味ではなく、ただ単に「何故人は生きるのか」という根源にあるモチベーションが薄くなるのではないかと思っている。
そして、シンプルに生きる事にフォーカスして生きる様になるのではないかとも思う。
それは、いわゆる人間らしさを捨てるという事かもしれないし、そうだとしたら、「テクノロジー」を使って我々は人間から動物に回帰すると言う事だ。
そうか、我々は何故狂った様にテクノロジーを押し上げるのか、それはニルヴァーナを目指しての事だったのだ。
人間の境界を少しずつ壊しながら、そういうやり方で。
そう考えると、まだまだ私たちは修行(テクノロジーの発展)が足りていないと言えるかもしれない。
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