もしあらゆる音楽の音符やパターンがデータ化され、思いついた旋律から即座にさまざまな音楽パターンを生成できたり、そういう時が来たとき(近々でしょうが)、そのときになって初めてようやく人は機械と音楽の関係を相対化できるようになるのではないか、と思う。
自動作曲に社会的な意味があるとすれば、そういうことなのかも知れません。
しかしまあ、そういう事以外にもいろいろなことを面白がるというのは大事でしょう。
Wednesday, February 28, 2007
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