Wednesday, September 06, 2006

能動性から受動性へ

 音楽を聴くという行為は常々変化している。現在巷には様々な音があふれる。人々は様々な音に囲まれている。「音楽を聴く」という行為は一昔前では能動的な行為であったに違いない。しかし、現在の「音楽を聴く」という行為の意味は必ずしもそうとは限らないようである。町では店の拡声器から音楽やアナウンス、メロディが絶え間なく流れ、しかも一つではなく場所によっては同時に何十と「耳にはいる」訳である。飲食店ではBGMが流され、人ごみでは語り声が音楽の様に流れ、携帯電話の着信メロディが同時にいくつも聞こえる。
 人々は音に囲まれている。どうやら「音楽を聴く」という行為は「音楽が聴こえる」という意味を内包するようになったようだ。しかもその意味合いがどんどんと強くなってゆく。iPodやmp3プレーヤーによる大量の音楽の一括管理は「音楽が聴こえる」という精神で「音楽を聴く」ことと無縁ではあるまい。音楽は様々なやりかたで人々の脳に届くようになった。昔より自由になった。
 だが、自由と危険は背中合わせだ。自由のみを謳歌すると某国のようなド壷にはまるだろう。

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