Friday, April 07, 2006

improvisation

improvisation などというものは所詮結局は演奏者側の個人的な理由からはじまったのである。同じことを何回も何百回も繰り返すことは誰しも面白くないことなのである。繰り返しながらも毎回新たな発見があるように演奏してゆくようになるのは至極当然の行為だ。辻音楽師の様に日々同じ面子で同じ行為を繰り返せば繰り返すほど彼らの中にはある共通のシステムが生まれ、その中での improvisation を楽しむようになるし、そこに飽きるとまた更に新たなシステムを加えてゆく。それを繰り返して複雑化してゆくのである。そうして極度(のように見える)に複雑化されたシステムを擁するのが印度音楽であるわけだが、この場合は源泉の単純なシステムはほとんど隠れてしまいシステムのためのシステムも構築されたりしたがためにやはり単純に高度な improvisation とは言いにくい。しかし、でもやはりエッセンスはシンプルでありまた饒舌でないはずである。
improvisation は要するに演奏者サイドの必要性から生じたもので、そこに高尚な思想を読み解くのはいいことではあるが、その水源の場所を忘れるほどにのめり込むと迷うことになる。こと印度音楽の様に複雑化された音楽では迷いやすい。が、一度くらいは迷ってみてもよいのではないかとも思う。

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