Tuesday, March 01, 2011

時間1

デジタル回路にとって CLK は時間である.CLK は離散時間である.CLK のエッジとエッジの間にはデジタル概念として時間は無い.あらゆる現象は CLK と CLK の差分として表現される.

人は今、デジタル機器と分ちがたくつながり始めた今、時間が【 CLK にアライン 】されている.

Wednesday, August 05, 2009

「知っている」と「できる」の感覚について

「知っている」と「できる」は、当たり前のことだが、かなり異なる.同じ対象に対するかなり異なるアプローチであるのだが、ややもすれば同じことの様に捉えてしまう.
「知っている」<=>「できる」
と.

スポーツや楽器演奏など身体性が大きな範疇を占める事においては、当たり前のことであり、寧ろその2つを異なる要素として相補的に高める事が、大きな要因となる.

しかしながら(敢えて)、今は明らかに「知っている」に様々な環境が偏重している.
要するに IT のおかげで様々な事を「知りやすい」のだ.「知りやすい」が故に「できる」事を非常に大切にしなければならない.

どんなベーシックなことでも良い.「できる」事について注意を払う事である.

何度も言うが、「知っている」ことは「できる」ことと違う.

Thursday, April 23, 2009

モデリングについて

モデリング、というのは本質的に現実に間接的にしか関われない。
ソフトウェアの様に仮想的に現実との関係を持つもの、よりもさらに階層が抽象的である。
本質的にユーザーにとっては全く役に立たないものなのである。
それ故に、時にエンドユーザーが手にするものよりも思想が剥き出しである。オブラートに包まれていない。ユーザービリティは限りなく無い。
全く役に立たない、でありながら、思想が剥き出しである、というところは美術に似ているのかもしれない。

Thursday, April 16, 2009

Untitled

現在の技術ではセンシングできないような感覚があるのも事実だろう.
しかし、センシングできるものは、その分解能は人間の感覚神経の最小単位を超えているだろう.24ビットフルスケールでの1ビットをヒトはどれほど知覚できるのだろうか.

要は、分解能や正確性ではない、ということだ.入力のルーズさに対する許容範囲という点に於いて、デジタルシステムは根本的な欠陥がある.

ヒトにより時間・ピッチなど音楽要素は激しく揺らぐ.その揺らぎを、肉体のルーズさをデジタルシステムは許容できない.揺らぎという要素さえ、厳密に記述する必要がある.系の矛盾である.

ルーズさを要素としなければよい、というのは1つの答えだが、残念ながら音楽では揺らぎが無視できない要素なのだ.
Gould の何倍も正確な、速い演奏が可能なのだがそれは恐らく意味のないことだろう.とすると、Gould の演奏は正確性やテンポという要素以外にもなんらかの意味のある要素があるということになる.

Tuesday, March 24, 2009

周辺から

新しいもの、はどこから生まれるのだろうか.
様々に(まるで針の山の各先端のように)特化した専門性の先端から生まれることは確かだろう.それが、針の先端を更に伸ばしてゆくのだろう.
しかしはたして、横断的なもの、は先端から生まれるだろうか.先端から周辺を眺めてリベラルな横断的な視点を持ち続けることはできるだろうか.
往々にして裾野から新しいものが生まれるのは、そこからはそれぞれの針の山への道が「リベラルな視点で」見えるからだろうか.

Sunday, November 30, 2008

モジュール(汎用)化 3

現代において、あらゆるものは「モジュール化」「汎用化」することが求められている。それ以外の選択肢は芸能・術領域にしか、残されていない。

モジュール(汎用)化 2

要素を「元素のようなこれ以上分割できないもの」に方向付ける、いわゆる還元的なやり方で考えると、複雑な Q'aida が単純な Na や Dha で置き換えることが可能だし、ソフトウェアプログラミングと同様にスマートなやり方で複雑なものを単純化させることに創造性をつぎ込んだとしても。
A) Shruti, Tanboura などの通奏(層)基底音に bol を方向付ける。
B) 一つの要素のみ Tala を構成する。

モジュール(汎用)化 1

Groove とはそもそも奏者の全ての要素が反映されたものだ。マクロな意味での groove は本来選択不可であり、「曲によって」「ジャンルによって」などで選択することはマクロという層で捉えた場合無意味なことなのではないか。

つまり、主体的に選択するものではなく「そうなってしまう」という類の要素であるということだ。現代において奏者は Poly-morphism を求められているがそれは、要素をモジュール化して分割できるという考えが暗黙に認められているからに他ならない。

先に述べたように、本来全体的なものなのだが groove の意味を狭める(或いは階層を一つ落とす)ことによってモジュール化を可能にし、技術的要素でもって様々な groove を一奏者が実現する。ということである。

Wednesday, October 22, 2008

電気/電子は音響派の古典だろうか

M氏の演奏を通して改めて自分が「音響」で音楽を構築している事に気づく.
パターンの組み合わせ、配置が音楽を作るのではなく、音の響きがパターンを創るかのようだ.
そう気付くと、自分の立ち位置が非常に簡潔に説明できる.

エレクトロニクスは音響派にとっての古典(クラシック)と捉えている.

Monday, September 22, 2008

scope (2)

scope (スコープ)というのは、視野という意味であるが、転じて(認識する)範囲の事を指したり、「限定」「境界」を強く意識させる言葉である.
実はこの scope という概念は今、とても重要であり、様々なアクティビティの背後に常に見え隠れしている.厄介な言葉である.

Tuesday, July 29, 2008

要はどこまで、どの程度まで自分の出す音に責任をもてるか、ということにフォーカスしている.
残念ながら、 max/msp や SC で出す音に私は責任を持てないかもしれないが、それはそのメカニズムが私の知らないところにあるからであるという消極的要因に負うところが大きい.
私はフィールドの音に対しても責任を持てないかもしれないが、それも同様にそれらはあまりにも私の外にあるからであるという消極的要因に負うところがある.

機械を制作し、楽器の演奏をよりどころとするのも、それが私に背負う事のできる可能性がある数少ない方法の1つだからである、という消極的な要素が私の内眼筋を制御している様だ.

verbose

冗長性をはぶく過程で創造性は大きな力を発揮する.
プログラミングに創造性が関わるとき、段階としてはまずここに効いてくる.

if

機械に人が操作しやすいような(人の操作を意識するような、人のような) IF は必要なのか?

Monday, July 28, 2008

scope

非常に単純な事なのだが、自分が責任を持てる範囲内でモノをつくる、というプリンシパルが自分を拡大しようとする揚力となっている.

Sunday, April 15, 2007

情報の国

架空の情報上の国があるとする。そこでも音楽が作られる。シルクロードを伝わって、また民族の様々な美意識で取捨選択されて時間とともに音楽が融合されてきた訳だが、この国でも同じように民族それぞれのアルゴリズムで情報の音楽をプロセスしてゆく。そういう国を想像してみた。

Saturday, March 31, 2007

improvisation

即興は人間の聖域となりうるか -> false

Monday, March 05, 2007

最後に決定を下すのは自分の感性だと知っているからこそ、感性の入る余地ない領域を手にしておく必要があると考える。

Wednesday, February 28, 2007

近未来

もしあらゆる音楽の音符やパターンがデータ化され、思いついた旋律から即座にさまざまな音楽パターンを生成できたり、そういう時が来たとき(近々でしょうが)、そのときになって初めてようやく人は機械と音楽の関係を相対化できるようになるのではないか、と思う。
自動作曲に社会的な意味があるとすれば、そういうことなのかも知れません。

しかしまあ、そういう事以外にもいろいろなことを面白がるというのは大事でしょう。

Hacking

現在の音楽において Hacking という要素は非常に大事なように思われる。

Sunday, January 28, 2007

dejav

機械から発せられる音、人の行為による音楽とを比較する。

”音楽とは生音である。音楽は演奏がよい。機械の音はどんなに機械の能力が上がったとしても人による音楽にはかなわない。原音至上。”

まるで以前の民族音楽と西洋クラシックの様だ。以前見たような光景に思える。いまだ何の疑いもなく、人々は機械の音と人間の音楽とを同列に扱っている。明らかに機械の音は、人々の不理解により辱められている。機械は音楽のような形に自らの表現を落とす必要はない。